10月17日には神宮及び宮中賢所で神嘗祭が執り行われます。
今回は神宮において最も重要とも言われている神嘗祭についてわかりやすく解説していきます。
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目次
神嘗祭とは伊勢の神宮や宮中賢所で行われる天照大御神に新穀を奉る最も重要な祭祀
神嘗祭は伊勢の神宮や宮中賢所で行われますが、この二つのお社の共通点は天照大御神をお祀りしているということです。
伊勢の神宮には三種の神器のひとつである八咫鏡が奉安されており、宮中の賢所では八咫鏡の形代(レプリカのようなもの)が奉安されています。
これは天孫降臨の際に宝鏡奉斎の神勅に基づいて天皇の御住まいと同じ床に奉安するということが命じられていましたが、第10代崇神天皇の御代に同じ床に置くことは畏れ多いことであるとして宮中を出て畿内を中心とした様々な地を回った後に第11代垂仁天皇の御代に倭姫命によって現在の伊勢の地に御鎮まりになり、宮中には代わりに形代が置かれるようになったという歴史があります。
天照大御神は皇室の祖先神であると同時に太陽に関する神であるとされており、神嘗祭は全国の農家によって収穫された新穀を神宮及び賢所の天照大御神に献上しお召し上がりいただくための祭祀です。
神宮では毎日朝と夕の二回神饌を奉る日毎朝夕大御饌祭というお祭りが行われていますが、この祭りは神宮の御饌殿で行われるもので天照大御神や別宮の神々にお越しいただくという形式で行われています。したがって、内宮では毎日の大御饌祭は行われていないのです。ただし、月次祭と神嘗祭の三節祭について限っては御正宮にて神饌が奉られます。
神嘗祭の起源は高天の原での稲作と斎庭稲穂の神勅に基づく
神嘗祭は高天の原で行われていた稲作と稲作を我々の生活する世界にもたらした斎庭稲穂の神勅を起源としていると考えられます。
『日本書紀』では
天照大御神に命じられて地上の保食神の向かい、口から食べ物を出しているところを見て激怒したツキヨミ命は保食神を殺してしまいました。保食神の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰から麦・大豆・小豆が生まれていたとされています。
— ⛩たむ⛩【神社関係者】 (@kytm16) October 22, 2021
こちらのツイートでは五穀の起源についてお話していますが、古事記及び日本書紀の記述から穀物の収穫が重要視されていたことが分かります。さらに日本書紀では保食神の身体から現れた穀物を天照大御神が持ち帰ったとされており、高天の原と呼ばれている天上の世界でも稲作が行われているということが分かります。
また『古事記』にはスサノオ命と天照大御神の誓約の条で下記のような記述があります。
天照大御神との誓約で勝利したスサノオ命は調子に乗って天照大御神の田の畔を切り離したり、溝を埋めたり、また新穀を神に献上するための社に糞をまき散らした。
これも高天の原で稲作が行われていた根拠であり、新穀を天照大御神がさらに上位の神に献上する祭儀が行われていたことの根拠でもあります。
さらに、『日本書紀』では現在外宮に祀られており食物を司るとされている豊受大御神は「この五穀は天下万民の生活に足りていない」と仰せられたとされています。
斎庭稲穂の神勅を含む三大神勅(五大神勅)についてはこちらのページにまとめているので詳しくは当該ページを確認していただくことをオススメしますが、一応ここでも軽く紹介しておきます。
吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。
現代語訳:天照大御神がつくる天上の田の稲穂を天忍穂耳尊に授けよう
斎庭稲穂の神勅は高天の原で行われていた稲作を地上の世界にもたらすという内容です。これをもとに我が国では稲作が盛んに行われています。
神嘗祭の歴史と歴代の天皇の関係
私たちが生活している世界は豊葦原瑞穂国や豊葦原千五百秋瑞穂国などと称されていますが、斎庭稲穂の神勅を含む三大神勅を受けて我が国を統治することになった歴代の天皇は高天の原の神々の思しめしを政治の根本として国民生活の向上と繁栄を進められました。
崇神天皇の御代に鏡と剣が宮中を出て以降も天照大御神に対する祭祀は重要視されていて、第42代文武天皇の御代に大宝令を以て国家の常祀とされましたと考えられています。
神嘗祭の祭儀では天皇陛下からの奉幣がありますがこれは第44代元正天皇の御代が初見です。『続日本紀』養老5年9月11日条には「天皇御内安殿、遣使供幣帛於伊勢大神宮云々」という記述が残されており、伊勢大神宮に幣帛を供する使を遣わしたということが読み取れます。以降、9月11日には奉幣の儀が行われることになっており、元正天皇の奉幣から神嘗祭の奉幣の儀が恒例となったと言えます。この奉幣の儀は室町時代後期の動乱を機に一時中絶しますが、江戸時代第110代後光明天皇の御代に再興されました。
第60代醍醐天皇の御代には延喜式において大嘗祭の大祀に次ぐ中祀とされ、国家にとって重要な祭祀として現在に至るまで斎行されています。
伊勢神宮での神嘗祭の古儀について
前述のように伊勢神宮の神嘗祭には奈良時代から奉幣が行われており、国家の恒例祭祀と位置づけられていたことが伺えます。
『養老令』の注釈書である『令義解』には神祇令という公式の恒例祭祀について定めた部分があり、ここにも当然神嘗祭について記述されています。その他の朝廷の資料も神嘗祭について記していますので、いくつかの文献を参考にしながら神嘗祭の古儀について紹介します。
奉幣使の卜定と神嘗祭への奉幣使及び中臣・忌部・卜部ら四姓の使い発遣の儀
まず、朝廷から神嘗祭へ奉幣を供進するための奉幣使を五位以上の王氏の中から卜定(亀卜)にて選びます。
9月11日の早朝、天皇が潔斎を終えた後、宮中の大極殿後方の小安殿に行幸され「中臣・忌部を呼べ」という呼び声を合図に小安殿前庭の立ち位置に着きます。続いて「忌部参り来たれ」という天皇の声に対して忌部氏は「オオ」と称唯し昇殿・跪いて拍手、南側に奉置された豊受宮への幣帛と北側に奉置された大神宮への幣帛を取り、元の位置に復します。続いて「中臣参り来たれ」という天皇の声に対して中臣氏は同じく「オオ」と称唯し、また「好く申して奉れ」という天皇に対して再び称唯して元の位置に復します。
このように卜定及び奉幣使発遣儀を終えた卜定で選ばれた者と中臣氏・忌部氏、さらに後代には卜部氏を加えた四姓の使いはすぐに伊勢へ向かい20日には都に戻ります。
『延喜式』『内蔵寮式』『四時祭式』に見る古代の伊勢神宮に奉られる幣帛の内容
『延喜式』には大神宮(伊勢神宮)について記した部分があり、そこには神嘗祭に奉られる幣帛について以下のような記述がされています。
『延喜式』巻4 大神宮
朝廷幣の数は内蔵式に在り
神嘗祭においては朝廷幣という幣帛が奉られ、これは内蔵寮という内廷の費用を司る役所から支出されます。
神嘗祭の朝廷幣については『内蔵寮式』を参照するように書かれていますので、以下その部分を紹介します。
『内蔵寮式』
皇大神宮 錦1匹・両面1匹・綾(深紫、浅紫、緋、中緑、黄)各1匹・白綾1匹
豊受大神宮 帛(緋、中縹、黄、黒)各1匹
以上が『内蔵寮式』の記述です。皇大神宮に奉られる錦とは豪華な絹織物、両面とは円に輪違いの文様をつけ表裏を同色で仕立てたもの、綾とは様々な模様でおり出した絹織物を指します。皇大神宮と豊受大神宮への幣帛はそれぞれ柳筥に入れて奉られるます。
この他に官幣としての幣帛も奉られます。以下、官幣について記した『四時祭式』を紹介します。
絁3匹・絲8絇・倭文1端1丈・席2枚・鞍2具・馬4匹、籠頭料布1丈4尺
神宮及び宮中賢所における神嘗祭の現行制度
戦前の政治制度は明治政府発足以来、祭政一致・王政復古と呼ばれるような古代の日本の姿に立ち返った政府の姿を想定し天皇を中心として政治と祭祀を一体の存在と理解していました。神道についても法令で定められており、宮中及び神宮その他神社についても法令をもとに祭祀を行っていました。
その法令のうち神嘗祭について定めたものとして神宮祭祀令と皇室祭祀令を挙げます。
神宮祭祀令は伊勢神宮の祭祀について規定したもので大正3年に制定されました。この法令では神宮の祭祀を大祭、中祭および小祭に分けており、神宮で毎年行われている祭祀のうちで最も重要であるとされている神嘗祭は当然大祭に分類されました。
皇室祭祀令は宮中で皇室が執り行う祭祀について規定したもので明治41年に制定されました。こちらも神嘗祭を大祭と位置づけており「神嘗祭は神宮に於ける祭典の外、賢所に於て之を行う。神嘗祭の当日には天皇神宮を遙拝し且之に奉幣せしむ」と規定しています。ここからも宮中の神嘗祭と神宮の神嘗祭は一体の存在であるということが読み取れます。
神宮祭祀令及び皇室祭祀令は戦後の神道指令により廃止されましたが、以降も神宮・宮中いずれにおいても祭祀が続けられています。
伊勢の神宮での神嘗祭の内容と式次第
ここまで神嘗祭は10月17日に行われるという話をしてきましたが、神嘗祭に臨むにあたり先んじて様々な祭祀が行われ、神嘗祭の祭儀もいくつかに分けられます。
神嘗祭式次第
15日
午後5時 興玉祭・御卜神事
午後10時 由貴夕大御饌(外宮)<修祓→神饌及び1度目の神酒の奉納→祝詞奏上→2度目の神酒の奉納→諸員の参拝→3度目の神酒の奉納・諸員の参拝→退下>
16日
午前2時 由貴朝大御饌(外宮)<修祓→神饌及び1度目の神酒の奉納→祝詞奏上→2度目の神酒の奉納→諸員の参拝→3度目の神酒の奉納・諸員の参拝→退下>
正午 奉幣の儀(外宮)<勅使及び祭主以下の参進→修祓→四丈殿に入り幣帛の確認→御扉開扉→幣帛奉奠→勅使御祭文奏上→大宮司祝詞奏上→御扉閉扉→勅使ならびに斎主以下太玉串を奉奠→諸員参拝→退下>
午後6時 御神楽の儀(外宮)
午後10時 由貴夕大御饌(内宮)<修祓→神饌調理→神饌及び1度目の神酒の奉納→祝詞奏上→2度目の神酒の奉納→諸員の参拝→3度目の神酒の奉納・諸員の参拝→退下>
17日
午前2時 由貴朝大御饌(内宮)<修祓→神饌調理→神饌及び1度目の神酒の奉納→祝詞奏上→2度目の神酒の奉納→諸員の参拝→3度目の神酒の奉納・諸員の参拝→退下>
正午 奉幣の儀(内宮)<勅使及び祭主以下の参進→修祓→四丈殿に入り幣帛の確認→御扉開扉→幣帛奉奠→勅使御祭文奏上→大宮司祝詞奏上→御扉閉扉→勅使ならびに斎主以下太玉串を奉奠→諸員参拝→退下>
午後6時 御神楽の儀(内宮)
~25日
別宮・摂末社・所管社でも祭儀を行う
1.神嘗祭に関する祭祀の中で最も初めに行われるのは興玉祭です。この祭祀は15日の午後5時から内宮にて執り行われ、対象は興玉神という神宮が鎮座する地の地主神です。興玉神は内宮御垣内の西北隅に祀られており、まずはここでで神嘗祭を支障なく行うことができるように祈ります。
2.次に内宮の中重で御卜神事が行われます。神祭りとは人間の都合で行うものではなく神のために行うものであり、祭祀を行うことが神の御心にかなうかどうかを伺います。
3.ここから神嘗祭の中心行事に入っていきます。
神嘗祭では新穀をを中心として様々な神饌が奉納されます。この御饌を由貴大御饌といい、神嘗祭は古くから由貴祭とも呼ばれています。
由貴大御饌は宮中の新嘗祭と同様に午後10時と翌午前2時の朝夕2回奉られます。神宮には内宮と外宮という2つのお宮がありますが祭祀に関しては古くから外宮先祭という原則に基づいて外宮から行われます。
御卜神事を終えるとまず外宮にて由貴夕大御饌として午後10時から修祓・神饌及び1度目の神酒の奉納・祝詞奏上・2度目の神酒の奉納・諸員の参拝・3度目の神酒の奉納・諸員の参拝・退下の順で進んでいきます。
続いて由貴朝大御饌として午前2時から由貴夕大御饌と同様に祭儀がすすめられます。
4.これを終えると正午から勅使という天皇陛下からのお遣いが参向され幣帛を供進する奉幣の儀が行われます。勅使は宮中の鳳凰の間で御祭文と幣帛を授けられ伊勢についてから川で祓を受けたうえで勅使斎館にて斎戒を行い、奉幣は勅使及び祭主以下の参進、修祓・四丈殿に入り幣帛の確認・御扉開扉・幣帛奉奠・勅使御祭文奏上・大宮司祝詞奏上・御扉閉扉・勅使ならびに斎主以下太玉串を奉奠・諸員参拝・退下の順に進められます。
ここで天皇陛下より奉られる幣帛は五色絁各16匹・白絹15匹・錦1端・御衣3匹・絹40匹・五色幣料絹1匹、幌料絹三匹・木綿15両・麻15両です。また、陛下が皇居内の水田でつくられた稲穂や各都道府県の神社庁を通して集められた全国の農家からの稲穂も内玉垣に奉られ、これを懸税といいます。これらは正宮の内玉垣に奉納され数多くある懸税の中でも正面の紙垂の付いた根つきのものが天皇陛下のお育てになった稲穂です。
5.朝夕の由貴大御饌を終えると午後6時から御神楽の儀が執り行われます。これは御神慮を慰めるために行われるもので、明治23年神宮祭主であらせられた久邇宮朝彦親王によって始められ、中重に臨時の神楽舎を設けて行われます。
ここまでが外宮での祭儀の次第であり、内宮では16日午後10時から由貴夕大御饌・翌午前2時から由貴朝大御饌、正午から奉幣の儀・午後6時から御神楽の儀が執り行われます。内宮での祭儀は外宮の祭儀と由貴大御饌において神饌の調理が行われる点が異なります。外宮では修祓の後に神饌及び神酒の奉納が行われるが、内宮では修祓の後に神饌調理が行われる。これは御正宮前の石段下にある御贄調舎で行われ、豊受大御神をお迎えして鮑に包丁を入れ御塩を加えて調理します。
内宮御正宮での祭儀が終わると続いて荒祭宮でも行われ。その後25日まで別宮・摂末社・所管社でも執り行われます。
宮中賢所での神嘗祭の内容と式次第
奈良時代より伊勢の神宮の神嘗祭は恒例の祭祀とされ毎年の奉幣が行われましたが、宮中では神嘗祭に関する特別の祭祀は行われていませんでした。
しかし明治4年になると宮中にて天照大御神をお祀りする賢所で祭祀が行われるようになり、明治41年には先ほども紹介したように皇室祭祀令で大祭と定められました。
宮中での神嘗祭も神宮と同様に10月17日に行われます。この祭祀は現在は廃止されている皇室祭祀令の内容を引き継いで行われており「神嘗祭の当日には天皇神宮を遙拝し且之に奉幣せしむ」という規定に基づいています。天皇陛下は午前10時に神嘉殿の南庭にて神宮を遙拝し、賢所に新穀を供えて御拝礼なさいます。
新嘗祭と神嘗祭の違い
神に新穀を献上する祭りには神嘗祭の他に新嘗祭があります。現在はどちらも収穫感謝の祭りとして認識されることが多いですが本来はそのような意義はなく、
神嘗祭は天照大御神に新穀を献上する祭り
新嘗祭は天皇陛下に新穀を献上する祭り
もともとは神嘗祭・新嘗祭は収穫感謝の意義はなく天照大御神・天皇陛下が新穀をお召し上がりになることで間接的に収穫を感謝する祭祀でしたが、現在は各地の収穫感謝の民族習俗と繋がって神々に対して新穀の実りを感謝する祭りと解釈されるようになっています。
これを踏まえて改めて神嘗祭と新嘗祭の違いを述べると、
神嘗祭は神宮及び宮中賢所において天照大御神に新穀を献上する祭り
新嘗祭は八百万の神に新穀を献上するとともに天皇陛下がこれを召し上がる祭り
と区別することができます。
以下の記事では新嘗祭及び大嘗祭について紹介していますので合わせてご覧ください。
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神宮の神嘗祭は外宮及び内宮において正午からそれぞれ16日・17日の正午から行われる奉幣の儀を除いて一般の参拝者は見ることはできません。
神祭りは神々のために行うもので人間のためのパフォーマンスになってはいけないというのは至極当然のことですが、神宮での祭祀を見ることで改めて祭祀の意義を実感させられます。