日本の古代の歴史を記した書物には古事記と日本書紀があります。
古事記と日本書紀はもともと口伝えで語り継がれてきた物語であり、それを文字に直すことは一筋縄ではいきませんでした。
今回は我が国の言語の説明と歴史書が編纂されるまでの困難についてわかりやすく解説していきます。
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目次
我が国の歴史書編纂には困難が立ちはだかった【古代日本の言語】
現代の我々も用いている日本語は元来、非文字言語でした。一部では神代文字というものの存在が主張されていますが、実際に発見されているわけではなく存在の真偽は不明です。
当然のように文字を扱う現代人にとって、文字がないということは未熟な文明であるかのように感じますが世界的に見れば文字がない文明の方が多数です。また、文字は歴史を後世に伝えることのできる素晴らしいものである一方、人間の記憶力を弱らせたものであるという研究結果もあり文字がないということが一概に悪いことだったとは言えないのではないかと考えます。
文字がなかったということは我が国の歴史は口伝によって伝えられてきたということですが、それを証明する材料として①中国の歴史書の記述②神話・歴史がリズムを重視した方法で記されていたということが挙げられます。
①中国の歴史書について
いくつかの「倭人伝」という日本について記した巻がありますが、その中に日本には文字がなかったという記述がされています。
②神話・歴史がリズムを重視した方法で記されていることについて
古事記には同じ表現を重ねたり語調を整えるという手法が頻繁に見られ、これは祝詞や琵琶法師によって口伝で語り継がれたとされる平家物語などにも表れるものです。
歴史書編纂の経緯【音を文字にすることの困難】
日本の古来の文章は漢文で書かれており、古事記や日本書紀も例外ではありません。
ご存じの通り中国の言語と日本の言語は異っています。現在でも書きの際は同じ漢字を用いることもありますが、読みの際は完全に発音が異なります。したがって、古代中国から文字というものを取り入れた日本は日本の音に中国の文字である漢字を当てはめるという作業を行う必要があったということが理解できます。
これまで口伝えで語られてきた物語を漢字で記録することは非常に難しいことであり、また口伝えで語られてきた物語を改めて読みに戻すという作業も非常に難しいことです。古代の日本人は書き手が音を無理やり文字に変換する作業と無理やり文字に変換されたものを音に戻すという二重の困難を強いられていたということがわかります。
実際、古事記の序では太安万侶が大変苦労したということを述べています。
書き下し 然れども上古の時は、言と意を並朴にして、文を敷き句を構ふること、字におきて即ち難し。
現代語訳 しかし、昔の言葉は素朴でした。これを文章に直し、文字で記すことは困難です。
天地初発の書き下し方・読み方は確定していない
現在の我々が読む漢文で書かれた書物には多くの場合、カナが振ってありますが当然原文にはそんなものはありません。ひらがなやカタカナが発明されたのは平安時代です。
私たちが記紀を読む際には大抵の人が後の研究者が書き下しした文章やそれを現代語訳したものを読むと思いますが、同じ書物でも様々な文献を見比べてもらうと文章が異なることが多くあることに気づきます。これが先述した「古代の日本人は書き手が音を無理やり文字に変換する作業と無理やり文字に変換されたものを音に戻す」ということに所以する現象で、編纂当時の読みを完全に復元することは今となっては不可能です。
このことを示す例として古事記の冒頭の「天地初発」を紹介します。
天地初発とい古事記の記述には多くの書き下しがあり、
①「あめつち はじめて ひらけしとき」
②「あめくに・・・・・」
③「あめつち はじめて わかれしとき」
④「あめつち はじめて おこりしとき」など様々なものがあります。
何度も言いますが、今となっては古代日本人の本来の読み方は解明しようがないのです。
漢字の音読みと訓読みの違い・関係
天武天皇が稗田阿礼に帝紀と旧辞を暗唱させ、それを太安万侶が聞いて文字に起こしたのが古事記です。
ここまでで説明した難しい問題を太安万侶はどのように解決していったのか話す前に漢字の音読みと訓読みの違いについて説明しておきます。
早速ですが、こちらの画像をご覧ください。
この動物は「犬」で読みは「ケン」です。
漢字というのはもともと中国の文字であって、古代の中国人は犬という文字を「ケン」と呼んだのです。
この動物は「いぬ」ですよね。
日本人では「いぬ」と呼ばれているということです。
まとめてみると…
- 中国では「犬」という漢字を用いて「ケン」と読む。
- 日本語という非文字言語では「いぬ」と呼ぶ
したがって犬という文字を音読みでは「ケン」、訓読みでは「いぬ」と読むのです。
簡単に言えば、①音読みは古代中国での呼び方②訓読みは日本での呼び方ということです。
古事記編纂にあたって太安万侶がとった解決策
さて太安万侶がどのような方法を用いて古事記を完成させたのか、その答えは古事記の序文に書かれています。
まずは太安万侶が考えた2つの解決案を紹介します。
書き下し 訓に因りて述べたるは、詞心におよばず。全く音を以て連ねたるは、事の趣さらに長し。
現代語訳 訓に従えばニュアンスが伝わらず、音に従えば長くなってしまう。
この一文から太安万侶は
①訓読みで表記する
②音読みで表記する
という方法を考えたことが伺えますが、どちらの方法にもメリット・デメリットがあったということが分かります。
メリット・デメリットについて例文を用いて説明します。
①訓読みで表記する
[例]「美哉善少男(あなにえや、えをとこを)」『日本書紀』②音読みで表記する
[例文] 「阿那邇夜志愛袁登古袁(読み:あなにやし、えをとこを)」『古事記』訓読みで書かれた文章は非常に端的でわかりやすい一方で発音などのニュアンスを読み取ることはできません。
音読みで書かれた文章では発する言葉一文字一文字に音を充てていることで言葉のニュアンスは伝わりますが、長文になってしまいます。
そこで太安万侶は①と②の方法を両方用いることで、会話文や和歌の部分はニュアンスを残し、その他では訓を用いて意味を伝えることができるようになりました。