日本の成り立ちについて記された歴史書は様々ありますが、神代(神々の時代)について記録されている歴史書としては古事記・日本書紀が挙げられます。
古事記と日本書紀とでは様々な理由から、この世界の成り立ちや神々に関する記録が異なります。
今回は古事記でも最初に生まれた神とされる天之御中主神について解説していきます。
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古事記に現れる天之御中主神
古事記では最初に現れた神は天之御中主神としています。
天之御中主神はお隠れになって姿を現すことはなく、天地初発の際に現れてから後は一度も登場しません。
したがって、功績については何も示されていないため一番最初に生まれたにもかかわらずかなりマイナーな神様となっています。
天之御中主神と中国(道教)の思想
天之御中主神は神名の通り、天の中心にいらっしゃる神であり天の主宰神です。
空を見上げた時に天の中心にあるものといえば北極星ですが、北極星は一年を通してほとんど動くことはなく、夜空に輝くすべての星が北極星を中心に回っています。北極星は不動の存在であり、古代の人々はこれを天地万物・宇宙の根源と考え、太一・大一・太乙と呼びました。
古事記・日本書紀は天武・持統天皇の御代に完成した歴史書ですが、この時期には中国の影響を受けており、記紀にも中国的思想が反映されていると考えられます。中国の思想について、皇帝が国を纏めていますがその正統性を天にいらっしゃる天帝が認めた人物こそが皇帝であると説明しています。
宇宙万物の天帝がいる場所を北極紫微宮といい、北極紫微宮があるのが北極星と考えられていたのです。
北極星と天之御中主神と妙見様の関係
インドから中国に渡った菩薩信仰ですが、中国内で北極星を太一とする道教信仰と習合し北極星を妙見菩薩と考えるようになりました。ここではインド由来の本来の菩薩という言葉の意味とは外れた存在になったようですがその話は仏教の専門家にお譲りします。
平安時代ごろになると空海・最澄が登場し、密教が急速に広まります。高野山金剛峰寺・比叡山延暦寺のようにたくさんの密教寺が創建されるようになりますが、高野山には丹生都比売神社・比叡山には日吉大社というように密教と神道は近づき、神仏習合が起こります。神仏習合の影響から、北極星=妙見菩薩=天之御中主神となったようです。
天之御中主神を祀る神社は少ない
この神様、最初に生まれたにもかかわらず意外と知名度が低いです。平安時代の『延喜式神名帳』には全国3132社の神社が記されていますが、その中に天之御中主神を祭神とする神社は一つもありません。
現在、天之御中主神が祀られている神社はサムハラ神社など江戸時代以降に創建された神社が多いです。その理由は江戸時代の神道家である平田篤胤が発展させた復古神道にあります。復古神道とは記紀の記述を根拠に古来の神道の姿を取り戻そうとするもので、最初に生まれた天之御中主神の優位性を説かれました。
中には鎌倉頃創建の神社もありますが、これは鎌倉時代頃から密教では国家鎮護・除災招福の祈願が頻繁に行われるようになりました。また、様々な書物に妙見菩薩は軍神として登場しており、特に東国で妙見菩薩を祭神として祀る神社が多く創建されたようです。しかし、明治時代の神仏分離政策の際に祭神を妙見菩薩とすることができなくなり、多くの神社が御祭神を天之御中主神と改めたのです。
例えば相馬三妙見社と呼ばれる福島県の神社では、かつては妙見菩薩を御祭神としていましたが、明治時代の神仏分離令以降は天之御中主神を御祭神としています。