日本書紀には三大(五大)神勅という神道の根本を示す御言葉が書かれています📚
その中でも最も重要なものの1つを紹介します😊天壌無窮の神勅
「この国は天照大神の子孫が君主として治めるべき国土です。皇室の繁栄は天地とともに永遠に続き、窮まることがありません。」— ⛩たむ⛩【神社関係者】 (@kytm16) November 3, 2020
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目次
神勅とは天孫降臨の際に高皇産霊神または天照大御神が与えた命令
天孫降臨の際に、高皇産霊神または天照大御神が与えた命令のことを「神勅」と言います。
神勅は日本書紀に記述されています。(一部は古事記にも記述があります)
五代神勅(三大神勅)は神道や日本という国の根幹をなすもの
天壌無窮の神勅
葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ
現代語訳:葦原千五百秋瑞穂の国(この世界)は私の子孫が治めるべき地です。行って治めなさい。天地共に永遠に栄えることとなるでしょう
これは天照大御神が天孫降臨の際に瓊瓊杵尊に下した神勅です。
初代神武天皇は瓊瓊杵尊の子孫にあたり、天皇を長としてこの世界をまとめ、繁栄させることを示唆しています。
天壌無窮の神勅によって日本という国が永遠に続くというのは天照大神が予祝するところではありますが、安泰であると努力しないのは怠りです。 私たちが生きる日本という国があるのは祖先の営みがあったからこそということを忘れてはなりません。
宝鏡奉斎の神勅(同床共殿の神勅)
吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎の鏡となすべし。
現代語訳:我が子よ、この鏡を見るとき、当然私を見るのと同じように見るべきだ。床を共にし、同じ殿に奉安して神聖な鏡としなさい。
また、この神勅は古事記にも記述があるのでこちらも紹介しておきます。
此れの鏡は専ら我が御魂と為て、吾が前を拝くがごと、いつき奉れ。
現代語訳 この鏡は専ら私の御魂として、私を祀るのと同様に奉安しなさい。
これは天照大御神が瓊瓊杵尊の派遣が決まる前に候補とされていた天忍穂耳尊に下した神勅です。
三種の神器のうちの1つ八咫鏡を天照大御神の御神体として祀り、宮中で保管しなさいということです。第10代崇神天皇の御代に、床を共にすることは恐れ多いことであるとして、宮中には八咫鏡の形代(レプリカ)を置き、本体は伊勢神宮に移されました。このことは『古語拾遺』の「斎部氏をして石凝姥命の裔と、天目一箇神の裔の2氏を率いて、更に鏡を鋳、剣を造らしたまひて、護身の御璽と為したまひき(斎部氏は石凝姥命の末裔と天目一箇神の末裔に鏡と剣が新たにつくらせ宮中にはそれらが留めおかれた)」という部分からも読み取れます。
草薙剣の形代と八尺瓊勾玉は剣璽と呼ばれ、天皇陛下の寝室の隣の部屋である剣璽の間に安置されています。
斎庭の稲穂の神勅
吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。
現代語訳:天照大御神がつくる天上の田の稲穂を天忍穂耳尊に授けよう
これは天照大御神瓊瓊杵尊の派遣が決まる前に、候補とされていた天忍穂耳尊に下した神勅です。
こちらのページでは月夜見尊が斬った保食神の体から穀物が生じ、天照大御神がこれを持ち帰ったという日本書紀の記述と須佐之男命がオオゲツヒメを殺したという記述を紹介しました。これらの記述からは高天の原という天上世界でも稲作が行われ、それと同時に神々へ新穀を奉る祭祀が行われていたことが分かります。
この稲穂を天忍穂耳尊に持たせ地上に向かうように指示したのが斎庭の稲穂の神勅です。
宮中祭祀には祈年祭・新嘗祭など稲作に関する祭儀がいくつかあります。
斎庭稲穂の神勅の意義は高天の原で行われていた稲作を葦原の中つ国に与え、同時に神々に対する祭祀を引き継いだということです。古事記や日本書紀の記述や古代から人々の生活をの他にも、宮中では天皇陛下が自ら御田植えや御稲刈りを行うなど日本という国と稲作は切っても切れない関係にあるということが理解できます。
天皇陛下による稲刈りは昭和2年に始められたものですが、第26代継体天皇が農耕を勧めたことや正倉院に伝わる宝物の中に鋤が残されていることからも天皇自身が農耕に携わってきたことが明らかになっています。
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侍殿防護の神勅
惟爾二神、また同じく殿の内に侍ひて、善く防ぎ護ることを為せ。
現代語訳:天児屋命・太玉命ら二柱も同じく殿内にいてお護り申し上げよ。
これは宝鏡奉斎の神勅(同床共殿の神勅)の後に天照大御神が瓊瓊杵尊に同行する 天児屋命、太玉命に下した神勅です。
天児屋命と太玉命が瓊瓊杵尊の側に仕えることを要求した神勅です。これは後に天皇が行う政治を補佐することと同義であると解釈されるようになり、祭政一致の原則につながりました。
太玉命を祖先としている忌部氏、天児屋命を祖先としている中臣氏(後の藤原氏)は朝廷内で重んじられ、天皇の政治を補佐してきましたが、その根拠となるのが侍殿防護の神勅であるということもできます。
神籬磐境の神勅
吾は則ち天津神籬及天津磐境を起し樹てて、当に吾孫の御為に齋ひ奉らむ。汝、天児屋命・太玉命、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中国に降りて、また吾孫の御為に齋ひ奉れ。
現代語訳:私は天上の世界で神籬を立てて瓊瓊杵尊のためにお祀りします。あなたは葦原の中つ国に降りて瓊瓊杵尊にお仕えしなさい。
これは高皇産霊神が自らの息子である天児屋命、太玉命に下した命令です。
「吾孫の御為に齋ひ奉れ」というのは祭祀を司れということです。
天上の世界では高皇産霊神・天照大御神らが祭祀を行い、天児屋命と太玉命は瓊瓊杵尊とその子孫のために祭祀を行えということで、皇室の繁栄と この国の平和を願う天皇のために祭祀を行えと解釈できます。
神籬とは神の依り代となるもののことを言い、この世界においての神籬こそが神社であると理解することもできます。
吉田神道とその流れを汲んだ垂加神道では神籬を「日守木」が転じたものと解釈し日継の皇子(天照大神の子孫)を守ること、磐境とは天皇守護の念を岩のように硬くすることであるとし、日本の国民たるもの天皇を守護する神籬となって 日本の中心である天皇を守ることが重要であると説きました。すなわち皇孫の為に祭祀を行うことで我が国の繁栄、国民の平安が守られるということです。