豆知識

【上知令とは】明治時代の上知令の意味や目的・理由など史料を参考に内容をわかりやすく解説

日本では過去に江戸時代と明治時代に大規模な上知令が出されました。

このうち、神社に対して大きな影響を与えた上知令について紹介します。

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明治時代の上知令は政府にる神社・寺院に対する土地没収命令を意味する

明治時代に行われた上知令は寺社に対して行われた土地没収の命令です。

たむ
まずは根拠となった法令を確認してみましょう。

明治3年(1870年)12月太政官布告「社寺領現在ノ境内ヲ除クノ外上地被仰出土地ハ府藩県ニ管轄セシムルノ件」

諸国社寺由緒ノ有無ニ不拘朱印地除地等従前之通被下置候所各藩版籍奉還之末社寺ノミ土地人民私有ノ姿ニ相成不相当ノ事ニ付今般社寺領現在ノ境内ヲ除ク外一般上知被仰付追テ相当禄制相定更に蔵米ヲ以テ可下賜事

この法令が出されたのは幕府による支配体制から新政府による近代的な国家制度への移行期であり、江戸時代の制度であった「朱印地」「黒印地」は、版籍奉還によって各藩主が国家に土地と人民を返還した以上、当然に神社・寺院の土地も国家に返還すべきであるということを示した法令です。

 

天保の改革時に水野忠邦が実施しようとした江戸時代の上知令と明治時代の上知令の違い

冒頭でも述べた通り、上知令というと江戸時代に行われたものと明治時代に行われたものがあります。学校での日本史の授業で頻出するのは前者ですので、江戸時代の上知令の方が認知度は高いのかもしれません。

江戸時代の上知令は天保の改革時に水野忠邦が発布した法令です。

当時は経済の要所である江戸及び大坂周辺は複数の大名や旗本の領地が入り組んでいました。江戸幕府は経済的な要所を押さえることで緊迫する幕府財政の立て直しを図るとともに中央集権的な政治体制を誇示するために大名や旗本の領地を取り上げ、他の土地を新たに与えることを考えました。しかしながら、由緒のある土地を取り上げられることとなる領主や、領主に対して金を貸している領民が領地替えによる踏み倒しが起こることを危惧し反対が起こり、結局のところ水野忠邦の上知令は実現しませんでした。

これが江戸時代の上知令の概要です。江戸時代の上知令は江戸・大坂の大名や旗本を対象としており、明治時代の上知令は寺社を対象としているということです。

 

「上地令」ではなく「上知令」の漢字が用いられる理由

明治時代の土地没収命令について多くの場合、「上地令」ではなく「上知令」の漢字が用いられます。

これは知行権の取り上げが主な趣旨だからです。

江戸時代までは各地に藩主によって認められた広大な有力寺社の土地があり、寺社による領有が認められるだけでなく、行政権や司法権も認められていました。

これらの土地から一切の領有権を取り上げる事が目的だったため、「知行」の字が用いられます。

【なぜ上知令は出されたか】明治政府による近代化と地租改正

明治時代に寺社の上地を進められた理由として、神道をもとにした国家体制を目指したことの他にも財政的な要因が挙げられます。

明治政府は財政基盤の確立のために地租改正を行います。地租改正とは全国的な土地・租税制度の改革のことで、私有地に地券を交付して一律に課税する方式がとられました。

地租改正の実施にあたっては神社・寺院の境内地と境外地を区別し、国家に属する財産である神社境内地と国民の財産部分を分ける必要がありますが、明治政府はこれに難航します。というのも、当時の寺社の領有地の中には広大な山林、社家の私的地、百姓地など様々な性質を持った土地が存在していたからです。

たむ
次に線引きの基準についての根拠法令を確認しましょう。

明治八年六月二十九日地租改正事務局達乙第四号『社寺境内外区画取調規則』

「社寺境内の儀は祭典法用に区画し更に新境内と定め其余悉皆上知の積取調へき事」

判断は「祭典法用に必需の場所であるかどうか」が基準となりましたが、線引きの基準は地方官の裁量に任せざるを得ず、全国でバラバラな基準の下で上地が実施されました。

また、本殿・拝殿の他、参道や社務所も確保された一方で境内を形成する要素の一部である山林や田畑のうち多くは上地されてしまいました。山林は境内の神聖さを担保する重要な要素であると同時に、木材の伐り出しや耕作によって経済基盤を支える存在であったにも拘わらず上地したことは国家財政本位の施策であったとも言えるでしょう。

 

上知令の範囲

もともと土地所有の要件は租税の有無であり、免租地である朱・黒印地では所有が認められず上地の対象となります。しかしながら、免租地の中には幕府や各藩によって与えられたものではなく、古来から寺社が所有する土地もあります。このような土地が寺社所有のものであると証明できれば、租税をすることで所有が認められる民有地として寺社の持ち分となる場合もありました。ただし、このような判断が下されたの事例は限定的だったようです。また、寺社や社家の人間が売買した土地も民有地と認められる事例がありました。

この他に神社で奉仕する神職の居住地を政府が上地の後、低価格で払下げるといった事例もあったものの、そもそも社家の廃止により多くの有力神社で国家専任の神官が奉仕することが基本とされたため、こちらも限定的な事例であったと考えるべきでしょう。

 

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