神社本庁神職資格を取得する方法として皇學館大学や國學院大學の神職課程を修了する方法があります。
神職の資格を取得することができる神道系の大学は全国でこの2校だけであり、多くの神職がこの2校のいずれかを卒業して現場に立っています。
今回は皇學館大学と國學院大學の歴史や違いについてお話していきます。
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皇學館大学は創設当時は官立(国立)の学校だった
まず三重県伊勢市にキャンパスを構える皇學館大学の歴史についてお話します。
明治15年(1882年)に神宮の祭主を務めた久邇宮朝彦親王が神職の養成・神道の研究機関として「皇學館」が創設しました。
明治18年には組織を改編し神宮皇學館としており、これが現在の皇學館大学の母体となります。神宮皇學館は内務省管轄の官立学校として神職の養成や神道の研究を行っていましたが、昭和21年に終戦を迎えると日本と神道のかかわりはこれまでと大きく変わることになります。GHQによる神道指令によって国と宗教のかかわりが禁止されたことで、国立の学校だった皇學館大学は存続することができなくなり、昭和21年3月14日に廃校となってしまいました。
しかし、昭和30年頃から皇學館を私立の教育機関として再興しようという試みから昭和37年に現在の皇學館大学が開学することになりました。
以上が皇學館大学の沿革です。ここまでで皇學館大学はもともと官立の大学で、伊勢という地に所在しているだけでなく創設の起源にも神宮が関わっているということを理解していただけたかと思います。
國學院大學は財団法人皇典講究所が創設した学校
次に東京都渋谷にキャンパスを構える國學院大學の歴史についてお話します。
國學院大學は財団法人皇典講究所が開設した教育機関「國學院」を起源としており、明治後期に私立大学 國學院大學とされました。
皇典講究所とは日本の古典を研究し、神社の本庁の母体となった機関です。
國學院大學は皇學館大学と違い私立の大学であったためGHQによる神道指令の影響を受けることはなく、創設以来神職の育成を行っています。
以上が國學院大學の沿革です。ここまでで國學院大學は皇典講究所が創設した私立の大学だったということが理解していただけたかと思います。
皇學館大学と國學院大學では神道に対する姿勢が異なる
皇學館大学は創設に神宮が関与し官立の大学として存続しており、國學院大學は財団法人皇典講究所が創設したということを説明してきましたが、両校は起源から神道に対する姿勢には違いがあります。
まず、皇學館大学では神宮との関係から神道を道徳的・信仰的にとらえる傾向にあります。
戦前から古典研究に集中しており、官立の学校でありながら国家神道との関わりはほとんどなかったようで、また神社本庁の母体となった皇典講究所との関係がないことから国家神道や神社本庁に反論できるような人物を育成するようなイメージです。
ここでも皇學館大学の姿勢が窺える資料として皇學館大学の学長を務めた谷省吾氏の見解を紹介します。
谷省吾氏は「もし神社本庁が殊更に『神社神道』という旗じるしを立てて、『宗教的な意味』を強調しつつ、きゅかを進めようとするのであるならば、根本的な危惧を感じないではいられない。神道本来のすがたである全国民的立場は、それが神道指令及び日本国憲法のもたらした事態によって失われてゆかうとしている今日においてこそ、積極的に護られねばならぬ。」と説明し、宗教としての神道は神道のほんの一部分に過ぎず、神道は宗教というより道義・道徳というべきものであるとしました。
次に、國學院大學は皇典講究所という日本の古典の研究所との関係から神道を宗教的・学問的にとらえる傾向にあります。
ここで國學院大學の姿勢が窺える資料として國學院大學に携わった3人の人物の見解を紹介します。
まず1人目は神社本庁設立に関わり戦後の神社神道に基礎を確立した小野祖教氏です。小野祖教氏は「神道は言挙げせず」の原則に従って祭祀を中心に行い神学が発展してこなかった神道にキリスト教神学を参考にして小野神学をは大成させました。
これを上田賢治氏が引き継ぎ、「いかなる信仰と雖も、その自己同一性を保つためには、信仰上の基準が何らかの形で問題とされなければならない。それを信仰の伝統に根差し、理性的。批判的に問はうとするのが神学なのである」と説明し、信仰とは自己検証であり独りよがりのものではく理論的に説明できるものでなくてはならないという姿勢を取りました。
また、安蘇谷 正彦氏も「神学をするということは、まさに神々に対する自己の信仰を言葉にすることにほかならない」と説明し、言語化して意味内容が伝わる形式でなければならないとしました。
以上が皇學館大学と國學院大學の神道に対する姿勢の違いです。