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神社本庁とは何をする組織か
神社本庁とは何のための組織であるかというのは神社本庁庁規に定めがあります。
神社本庁は戦前の皇典講究所・神宮奉斎会・大日本神祇会という三つの機関が合同して出来上がった組織です。
したがって前身となる3つの組織の役割をそのまま引き継いでいるのです。
以下、皇典講究所・神宮奉斎会・大日本神祇会の役割を簡単に紹介します。
①皇典講究所・・・神職資格の付与・養成及び神道の研究を行う団体
②神宮奉斎会・・・神宮の広報を行う団体
③大日本神祇会・・・行政組織への圧力及び神職の補助・連合を行う団体
神社本庁の歴史
明治~昭和の神社制度
明治時代から神社は「国家の宗祀」とされていました。
国家の宗祀というのは神社の祭祀主体が国家なることを法律的に明示したものであり、国家的な施設として扱われていたということです。
実際、神社は内務省に属する神社局で管理をされており、国内行政の一部とされていたのです。
しかし、終戦後GHQによって出された神道指令によって神道のあり方は大きく変化します。
神道指令とは国と神道のかかわりを禁止し民間の宗教のひとつと扱うことを指示したもので、戦前の内務省に代わる神社管理組織が必要となりました。
神道指令についてはこちらのページで詳しく紹介していますので、ぜひご覧ください。
神社本庁設立の過程「神社教案(教派団体案)と神社連盟案(神社庁案)の論戦」
神道指令によって国家との直接的な関係を持つことができなくなったことから、神道は一宗教として存続していかざるを得なくなりました。
そこで神道指令発令直後から全国の神社をまとめる存在の設立が検討され、団体のあり方について大きな議論が巻き起こりました。
それが神社教案(教派団体案)と神社連盟案(神社庁案)の論戦です。
神社教案とは神道を仏教やキリスト教のように固定的な教義を定めた神社教とし、伊勢の神宮を本山とした本末関係で編成し直すことを目指すもので神職の集まりであった大日本神祇会が中心となって提案していました。
これに対して葦津珍彦らは神社教案を「キリスト教や仏教のように教義を固定的成文的に定めることは惟神の大道に反し、各神社の独立性を尊重せず中央集権的な本山末山のような関係をたてることは神社の本質に反する」と批判し、以下のような連盟案を提案しました。
神社連盟案の概要
・神社は都道府県ごとに連盟を組織して各神社が崇敬者から選ばれた役員を置く
・各都道府県から代表を選び最高決議機関となる中央連盟を組織する
・総会において特別委員を選出し常時重要問題を処理する
・一定の社格を有する神社に対しては中央連盟から神饌幣帛料を供進する
・神職の任免は各神社の崇敬者の選挙を経て、この決議を中央連盟または各都道府県連盟が承認する
神社界の未来を決定するこの論戦は非常に白熱したものになりましたが、神社連盟案を中心として神社教案を一部取り入れることで決着し昭和21年2月3日に財団法人皇典講究所・財団法人神宮奉斎会・財団法人大日本神祇会が合同して神社本庁が設立されました。
実際、神道には特定の教祖や教義が定められておらず、また全国に何万社とある神社にはそれぞれの歴史・由緒があり各神社の運営はそれぞれに任されるべきです。その点を考慮すれば神宮を本山としてその下に全国の神社を置く本末関係に基づく組織よりも、すべての神社を横並びにして緩やかな連盟を組織させる方法の方が歴史的に見ても神社にふさわしかったと考えます。