神社の運営には神道学の他にも、経営学・法律学などの様々な知識が必要です。なかでも法については神社の存続にも直接的に関わる事案が多く、神職の研修でも神社の運営に必要な法律について学びます。
また、法律関係の試験や高校・大学等の試験で出題される政教分離原則の部分を神社の関係者が説明していることは少ないと思います。
前回は津地鎮祭訴訟と愛媛玉ぐし料訴訟について説明しましたが、今回は砂川政教分離訴訟(空知太神社判決・富平神社判決)について神社に仕える者であり、法律系の国家資格に合格している私が解説していきます。
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目次
砂川政教分離訴訟(最判H22.1.20)
砂川政教分離訴訟とは北海道砂川市が二つの神社に土地を無償で提供していることが憲法の定める政教分離原則に反するとして争われたものです。
二つの神社とは空知太神社と富平神社で、どちらも平成22年1月20日に最高裁判所大法廷で争われました。
ここからはこれらの訴訟について解説していきます。
空知太神社最高裁 違憲判決の概要
【事件の概要】
小学校の敷地拡張につき移転に協力した町内会は砂川市から土地を無償貸与を受けていた。この敷地内には鳥居と地神宮が、建物内には祠が設置されており建物の壁には「神社」の表示がされている。この敷地の管理は町内会に属する氏子集団が行っている。
この土地無償提供行為が政教分離原則に違反し、違法に財産の管理を怠るとして同市市長を相手に違法確認の住民訴訟が提起された。
1審は一部請求認容、2審は控訴棄却。
【争点】
①憲法89条違反かどうかはどのような基準で判定されるのか
②本件土地の無償提供行為は憲法違反か
【判旨の要約】
①について
憲法89条は政教分離の原則を財政的な側面から徹底させることで信教の自由の保持を一層確実なものにしようというものである。
しかし、国または地方公共団体が宗教と関係を持つことが一切許されないということではなく、社会的・文化的諸条件に照らし信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超える場合には認めらない。(=超えなければ認められる場合もある。)
また、社会の諸条件を考慮すると宗教的施設の性格・経緯・態様・一般人の評価等、諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべきである。
②について
鳥居・地神宮・神社という標識・祠の存在から本件建物は神社神道の施設とみるほかなく、地域の伝統的行事として親睦などの意義を有するとしても神道の方式にのっとって行われているその態様にかんがみると、宗教的な意義の希薄な単なる世俗的行事にすぎないということはできない。
本件氏子集団は町内会に属しているものの社会的に見れば氏子集団は町内会とは別に存在するものであり、氏子集団とは宗教行為を行うことを主たる目的としている宗教団体である。よって、氏子集団は憲法89条にいう『宗教上の組織若しくは団体』といえる。
さらに、土地の無償提供はもともと小学校の敷地の拡張に協力した氏子らに報いるための措置だったとはいえ、それが長期間にわたり継続されていることで一般人から見て市が特定の宗教を援助していると評価されてもやむを得ない。
以上のような事情を考慮し社会通念に照らして総合的に判断すると、本件利用提供行為は我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして憲法89条の禁止する公の財産の利用提供にあたり、憲法20条1項の禁止する宗教団体に対する特権の付与にも該当する。よって違憲。
空知太神社訴訟の問題点と反対意見「目的効果基準を用いず総合的判断を行うことは適切か」「大阪地蔵像訴訟判決との比較」
問題点①
本件判決で判決の理由について以下のように説明しています。
本件神社において行われている諸行事は地域の伝統的行事として親睦などの意義を有するとしても神道の方式にのっとって行われているその態様にかんがみると宗教的な意義の希薄な単なる世俗的行事にすぎないということはできない。
このように神社の行事は親睦のための地域の伝統行事と評価しながらも神道方式であることを理由に世俗性を否定していますが、「外見的側面だけでなく、行われる場所、意図、一般人の評価、目的及び宗教的意識の有無、程度、一般人に与える効果を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならない。」とする目的効果基準に対して「神社という外形的側面にとらわれている」という点で異なっており、目的効果基準は採用されていないことが分かります。
従来の判断基準である目的効果基準を用いていたとしたら土地の無償提供の目的に宗教的意義はなく、その効果も特定宗教の援助・助長とまでは言えないため合憲の判断がされるのではないかと考えられます。
問題点②
この裁判の前には大阪地蔵像訴訟判決という類似の裁判例との比較をしてみます。
大阪地蔵像訴訟判決
「(1)地蔵像建立あるいは移設のため市有地の無償使用を承認するなどした意図・目的は市営住宅の建替事業を行うに当たり、地元の協力と理解を得て事業の円滑な進行を図るとともに地域住民の融和を促進するという何ら宗教的意義を帯びないものであった。(2)もともと本件のような寺院外に存する地蔵像に対する信仰は仏教としての地蔵信仰が変質した庶民の民間信仰であったが、それが長年にわたり伝承された結果、その儀礼行事は地域住民の生活の中で習俗化し、このような地蔵像の帯有する宗教性は希薄なものとなっている。
この判決では寺院外の地蔵は寺院内の地蔵と比べて宗教性が希薄で習俗的なものであるとしています。
これを空知太神社に当てはめるとすれば宗教法人としての神社と習俗化した祠は区別すべきで、空知太神社は宗教的意義の希薄な習俗化したものであると判断されるべきです。
問題点③
祠を管理しているのは町会の一部として設置された総代係が氏子費を通常の町会費と別会計にしただけであり、独自の氏子集団が存在するわけではありませんでした。しかしながら、判決では氏子集団を宗教団体と決めつけており、この点でも地蔵像を町会で管理していた大阪地蔵像訴訟判決とも矛盾する結果となっています。
富平神社最高裁 合憲判決の概要
【事件の概要】
町内会が実質的に所有し地域住民が利用している土地に地域住民は神社を創建した。昭和10年に小学校の教員住宅建設のために土地を砂川市に寄付したが、昭和50年には教員住宅は取り壊され土地の管理は町内会に委ねられることになった。しかし、本件土地内の神社では宗教的活動が継続されており、管理を委ねることは政教分離原則に反するとして砂川市は本件土地を町内会に無償で譲渡(返還)した。
この譲渡が政教分離原則に違反し、違法に財産の管理を怠るとして同市市長を相手に違法確認の住民訴訟が提起された。
【争点】
①砂川市が町内会に本件土地の管理を委託したことをどう評価するか
②本件土地の無償譲渡は憲法違反か
【判旨の要約】
①について
神社では宗教的活動が継続して行われており地域住民の大多数が神社の維持運営費年額1,500円を支払っていることを考慮すると、本件土地の管理を町内会に委託していたことは地域住民が宗教的活動を行うことを容易にするものであったというべきである。
よって、政教分離原則に反する。
②について
本件譲与は土地の財産的価値にのみ着目すれば町内会に一方的に利益を提供するという側面を有しており、地域住民の集団に対しても神社敷地の無償使用の継続を可能にするという便益を及ぼすとの評価することができる。
しかしながら、本件土地はかつては町内会が実質的に所有したものであり、仮に市が土地内の神社関連施設を撤去すれば地域住民によって守り伝えられてきた宗教的活動を困難なものにし、信教の自由に不利益を及ぼすことになる。神社の財産権及び信教の自由を尊重しつつ、宗教との結びつきを解消するためには譲渡の措置を講ずることが最も適当である。
以上の理由から信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるかかわり合いをもたらすものということはできず,憲法20条3項・89条に違反するものではないと解するのが相当である。→合憲
砂川政教分離訴訟【法と神社の用語解説】
住民訴訟
地方公共団体の住民が監査委員に対して違法もしくは不当と思われる財務会計上の行為について請求を行ったにもかかわらず監査委員が必要な措置を行わなかった場合に起こすことができる訴訟。
氏子
主に神社の周辺地域に居住し、その土地の神(氏神)を信仰する人々のこと。
憲法第20条
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
憲法第89条
「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」
空知太神社判決・富平神社判決のまとめ「目的効果基準と総合判断基準について」
空知太神社訴訟も富平神社訴訟も砂川市と神社が関わったものですが、
- 空知太神社判決は違憲
- 富平神社判決は合憲と判決が分かれました。
なぜこのような結果になったかというと、富平神社訴訟では砂川市の行為は違憲状態を解消させたものにすぎないという判断がされたからです。ただし、空知太神社判決では神社施設の撤去以外にも、市有地の譲与などの手段を講じることで違憲状態が解消されるため、市が神社施設の撤去を行わないことが直ちに違法とはいえないとしています。
これまで解説してきた津地鎮祭訴訟ではもちろん愛媛玉ぐし料訴訟でも一応目的効果基準が用いられていましたが、今回紹介した2つの判決では用いられず総合的基準によって判断がなされたという点でも重要な事例を言えます。
津地鎮祭訴訟で取り入れられた目的効果基準では「宗教的活動とは国家と宗教の関わりが相当であると解される範囲を超えるものに限られ、宗教的な意義を持ち、宗教に対する援助・助長・促進又は圧迫・干渉等になる行為をいい、個別の事案については主宰者が宗教家かどうか、式次第が宗教の定める方式に則って行われるかどうかなど外見的側面だけでなく、行われる場所、意図、一般人の評価、目的及び宗教的意識の有無、程度、一般人に与える効果を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならない。」としています。
一方、今回の紹介した空知太神社判決では「諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断」と述べられており、この部分からも目的効果基準を用いて判断していないことは明らかです。