豆知識

実家が神社ってどういうこと? 社家の歴史と明治時代の神官世襲制廃止

私を含めて全国には数多くの家が代々神社に仕えており、このように神社に仕える家系を社家といいます。社家というのは一般には浸透していない言葉でしょうし、社家がどのような経緯で神社で奉仕することになったのか知らないことがほとんどだと思います。

今回は神職制度の始まりに触れつつ「実家が神社ってどういうこと?」という疑問に答えていこうと思います。

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神職という役職が生まれたのは江戸時代以降になってから

神道とは全国各地で自然的に発生した習俗であり、精霊崇拝祖先崇拝がもとになっていると言われています。

神道の成立年代については明確なことは分かっていませんが、神道の成立当時は専門職の神官などは存在していなかったと考えられており、古代の神々は土地の守護神としての性格を強く持っていたことから実際にその土地の構成員が当番制で祭祀を執り行う役割についていたとされています。

ただし、神々と相対するときには祭祀の厳粛さを保つために潔斎をする必要があり、また神々への適切な奉仕のために一族が代々神に仕えるということが行われていったお社もあります。この場合はもともと当番制で回していた神主としての職務を構成員の一人が請け負ったということが考えられるでしょう。

以上のように神社によって様々な歴史があり、すべての神社が同じような状況にあったと説明することはできません。


さて、神社の話をするときは地域の氏神様と呼ばれるような小さな神社を例に出すよりも大社を例に出した方が分かりやすいと思いますし、この後説明する明治時代の神社制度の話にもつなげやすいという当サイト運営側の事情もありますので、ここで一旦 大社の社家制度はどうだったのかという話を個別の神社名を紹介しながら説明してみます。

時代は古墳時代・奈良時代のことです。

天皇を中心とする国家体制が確立していき、中央では天照大神に連なる天皇家の血統を重視し、神道を国家的な統一されたものとして扱うことになっていきました。

このときに国家祭祀の実践者として神主という専門職が生まれ、春日大社の中臣氏をはじめとしてそのお社に縁のある人物や中央から任命された役人が神社で代々奉仕していくことになります。

特に近畿地方を中心に国家祭祀の要として特別な待遇を受けているお社が多くあり、その例として神宮・熱田神宮・住吉大社などの大きなお社が挙げられます。

今回は熱田神宮については紹介します。

熱田神宮の創建前の歴史として天火明命の血統を継ぎ皇室とも所縁の深かった尾張氏が尾張国造に任ぜられています。

その後、日本武尊が東征の途中に尾張氏の一族である宮簀媛命を妃として三種の神器のひとつである草薙神剣を尾張の地に留め置かれたことが創建の由緒となっており、これよりのちは尾張氏が国造として国を治めながら熱田神宮の祠官を担いました。白河天皇の御代になると神の託宣により外戚の藤原季範が世襲し、その子孫は千秋家として明治時代まで宮司職を担ってきました。

 

明治時代の神官世襲制廃止と地方への影響

しかし明治4年になると

神社はすべて国家の宗祀たるとし、世襲神職を廃止し以後は選補任とする。同日、また官社以下定額および神官職制等を定めまた官幣社式年の造営は官費を以て行うこととする。

とする法令が出され、「神社を私的なものにするべきではない」という精神から官国幣社での社家制度が撤廃されます。

官国幣社とは国家が幣帛を供進し、国家祭祀の場として人事を国家が担当していた神社の事です。

 

これにより、神宮の荒木田家・度会家、熱田神宮の千秋家、住吉大社の津守家などは宮司の職を奪われることになり、現在でも伊勢神宮をはじめ様々な大きな神社では社家は存在せず、その神社で長年の功績がある人物が宮司に任じられています。

 

地方の神社への影響

以上のように官国幣社では宮司選定の方法が大きく変わったのに対して、地方の神社への影響は限定的でした。

例えばお笑い芸人の狩野英孝さんは社家に生まれ、1500年ほどの歴史のある家系が現在も代々奉仕をしているように、地方の神社にまで介入があったとは言えないようです。

 

しかしながら、なかには影響を受けた神社もあります。

私の祖先も代々神職をしていますが、私の家系になってからの最初の宮司はもともと役所で働いていたようです。先ほども説明したように、明治時代ごろは神社は国家管理体制下にありましたから人事はすべて行政が担当しており、役所で公務員として働いていた際に役所から神社で勤めるように指示を受け、現代でいう天下りとか出向という形で神職として奉仕することになったという話を聞いています。

 

また、近年では神社数に対して神職数が少なく、1人で20社以上を兼務しているという人も珍しくありません。それだけ多くの神社を兼務しているとそれぞれの神社で祭典を行うことができるのは年に一度の例大祭だけということになってしまいます。

これでは神様への十分な奉仕を行えず、また宮司の負担も非常に大きいということで、お社を他の神職に譲り渡すということも行われており、この場合 譲り受けた神職に後継ぎがあればその後はその家系で世襲していくということになります。

 

【まとめ】実家が神社である理由はそれぞれである

ポイント

・もともと地方の神社では住民の当番制で奉仕が行われていたが潔斎などの祭典の厳粛化のために神職という専門職が生まれた

・古墳時代・奈良時代の中央集権体制下では国家祭祀実践の上で重要な立場にある神社での奉仕はそのお社に縁のある人物や中央から派遣された役人が行った

・社家と呼ばれる人々には古代または中世から世襲している人々の他にも明治以降の神職制度の変革により宮司となった人々や、近年の宮司不足に伴い神社の管理を担うことになった人々など様々な事情がある

 

たむ
以上が社家制度の歴史です
たむ
神職の制度や神社についてもう少し詳しく知りたい方はぜひ以下の記事もあわせてご覧ください!!!

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