日本には戊辰戦争やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争、日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争で命を落とした英霊を祀る靖国神社がありますが、戦前の満州にも建国のために命を落とした人々を祀る満州国の靖国神社ともいえる建国忠霊廟がありました。

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成立当時の満州国は不安定な情勢が続いており、建国に関わる神を祀る施設をつくり、国民の拠り所とすることで、精神統一を目指しました。
そこで満州国政府は満州国建国のために命を捧げた英霊を祀ることを提案し、可決されました。また、これに付随して建国に関わる神を祀るということが決まりました。
さて、ここで問題となったのが建国に関わる神をどの神にするかという点です。祭神決定に関する具体的な議論がなされ、明治天皇を祀る案、満州地域で古くから崇敬されている神を祀る案など様々あげられました。
結果として、満州の成立は日本と切っても切れない関係にあると言うことから天照大神と英霊を祀ることが決まりました。しかしながら、皇祖たる天照大神と英霊を同列で祀ることは畏れ多いということから、天照大神を祀る建国神廟、その摂社として英霊を祀る建国忠霊廟というように分けることになりました。
この時、既に建国忠霊廟は建設が進んでいましたが、天照大神を祀る建国廟を急ぎ建設しなければならなくなってしまったのです。このような経緯から出来上がったのが檜等を用いた権現造の建国神廟と、清朝の帝陵風の建国忠霊廟で、満州国皇帝の溥儀は熱心に祭祀に勤しんだと言われます。
建国忠霊廟の御祭神は合祀を何度も経て、1944年には満州側及び日本側を合わせて約4万柱の英霊が祀られました。