豆知識

【伊勢神宮 内宮の御祭神・相殿神とは】皇太神宮儀式帳や倭姫命世紀、古事記、御鎮座本紀の記述をもとに検討

天皇家の祖神である天照大御神を祀り、全国に8万社以上ある神社の本宗に位置づけられる伊勢の神宮には内宮と外宮という尊いお社があります。このうち内宮の御正宮でお祭りしている神様は天照大御神とされており、境内の案内板やWebサイトにもその旨が記載されています。この他にも神宮の公式見解では天照大御神の他に2柱の神が相殿神として祀られているとされていますが、この神についての記述は現代の神宮の思慮を見る限り確認することができません。

今回は伊勢の神宮の天照大御神と共に祀られている神についてお話していきます。

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『皇大神宮儀式帳』『御鎮座次第記』では伊勢神宮 内宮の御祭神(相殿神)は天手力男神・万幡豊秋津姫命か

まずは延暦23年(804年)に皇大神宮の宮司大中臣真継が記した『皇大神宮儀式帳』の記述を紹介します。

『皇大神宮儀式帳』

天照坐皇太神(所称天照意保比流売尊)

同殿坐神二柱(坐左方称天手力男神霊御形弓坐 坐右方称万幡豊秋津姫命也此皇孫之母霊御形剱坐)

また、『御鎮座次第記』でも

『御鎮座次第記』

相殿神二座

天手力男 元是御戸開神坐

萬幡豊秋津姫命 御形剣坐

天照坐皇太神とは天照大御神の事を指します。

このように神宮の御祭神は天照大御神の他に同じ社で祀る神として弓を御霊代とする天手力男神と剣を御霊代とする万幡豊秋津姫命があるということが分かります。

 

『日本書紀』の記述を素直に読み解けば伊勢神宮 内宮の御祭神(相殿神)は天児屋命・太玉命もしくは思金神のはず

一方で日本の正史と言われる『日本書紀』にはこのような記述があります。

是の時に天照大神、手に宝鏡を持ちて天忍穗耳尊あめのおしほみみのみことに授けて、きて曰はく「吾が児、此の宝鏡を視見まさむこと、當に猶吾を見るがごとくすべし。与に床を同じくして斎鏡と為すべし。」

また天児屋命太玉命に勅して曰はく「惟爾二神も、同じく殿内に侍ひ、善く防ぎ護り為せ。」

こちらは日本書紀及び古事記に記されている同床共殿の神勅(宝鏡奉斎の神勅)と侍殿防護の神勅の内容です。

ここでは天照大御神が天児屋根命・太玉命に対して天照大御神の御霊代たる鏡を同じ殿内で守ることが命じられており、この神勅によれば内宮の相殿神は天児屋根命・太玉命のはずです。

 

さらに、古事記の同床共殿の神勅についての記述を確認してみます。

この鏡はもはら我が御魂として吾が前を拝むが如くいつき奉れ。次に、思金神は前の事を取り持ちて政を為せ。この二柱の神は、佐久久斯侶伊須受能宮を拝み祭れ。

こちらの記述を見ると天児屋根命と太玉命の2神については佐久久斯侶伊須受能宮にて拝祭とされており、思金神が祭祀を担ったということが分かります。そこで思金神が御祭神ではないかともされています。しかしながら、思金神を相殿神とする史料は古事記しかなく、相殿神が思金神の1柱だけしか記述されていないため信憑性には欠けます。

 

『倭姫命世紀』では伊勢神宮 内宮の御祭神(相殿神)は天児屋根命、太玉命を含めたいくつかの神

倭姫命世紀にはこのような記述があります。

『倭姫命世紀』

倭姫命、天照太神を戴き奉りて行幸みゆきしたまふ。(相殿の神は天児屋根命、太玉命。御戸開闢みとびらきの神は天手力男神、幡姫命・御門みかどの神は豊石窓、櫛石窓命。並びに、五部伴いつとものをの神相副ひ仕へ奉る)。

これは崇神天皇58年の辛巳の年に大和の弥和の御室の宮にて豊鋤入姫命が倭姫命にご遷幸を託した場面の記述です。ここでは相殿神は天児屋根命・太玉命の他に天手力男神、幡姫命、豊石窓、櫛石窓命であるとしています。また、「五部伴いつとものをの神相副ひ仕へ奉る」とは五柱の神を指す言葉ですが、どの五柱を指すのかなど疑問点はいくつもあります。

 

さらに以下のような記述もあります。

相殿神二座(左、天児屋命、形は弓に座します。右、太玉命、剣に座します)

一書曰はく、「天手力男神万幡豊秋津姫命

以上のように『倭姫命世紀』では天児屋命、太玉命を相殿神としながらも天手力男神、万幡豊秋津姫命という『皇太神宮儀式帳』などの記述も参照していることが分かります。

 

豊受皇太神御鎮座本紀鈔では内宮の御祭神(相殿神)はもともと瓊瓊杵尊・天児屋根命・太玉命だが外宮創祀により天手力男神、万幡豊秋津姫命となったとする

亦天照太神御託宣、相殿坐神二前。止由氣宮相殿神皇孫命に奉陪從る。故號止由氣宮相殿、而東西座給。(東天皇孫命,一座。西天兒屋根命。靈形笏,天津賢木執副坐。太玉命,靈形瑞曲玉座。但東御靈常西相殿並座給也。)自爾以往、以天手力男神万幡豊秋津姫命、天照皇太神乃為相殿坐。

こちらの記述では豊受大神宮(外宮)が創建された際に内宮の相殿神であった東の瓊瓊杵尊と西の天児屋根命・太玉命が外宮に遷されて、代わりに天手力男神、万幡豊秋津姫命が祀られてということが記されています。

 

大日本史では万幡豊秋津姫命の御霊代が剣であることを疑っている

大日本史では『皇太神宮儀式帳』が相殿神を天手力男神、万幡豊秋津姫命としていることを、万幡豊秋津姫命という女神の御霊代が剣であることを疑っていますが、式年遷宮で奉られているを御神宝装束を見ると女神にも武器の類があることを考慮すれば特段否定すべき事項とは考えられません。


ここまで神宮に関する文献を確認してきましたが、以上の文献では御祭神を判定することは困難であり不明とせざるを得ない状況にあるようです。

 

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