私たちが生活している日本という国土にはそれぞれの地域を守ってくださっている氏神がおり、私たちの生活は氏神によって守られています。
このように現在、氏神というと地域の守護神と認識されていますが古代における氏神という言葉の意味は現在と異なっており、時代の変遷と共にその意味も変化してきました。
今回は氏神とは何か、古代の氏姓制度や各氏族の氏神がどのように決まったのかを参考にしながらお話していこうと思います。
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目次
氏が持つ意味とは「氏と姓の違い」
氏姓制度とは朝廷での立場を示すもの
氏神とは何かを説明する前にまず「氏」というものを説明しなければなりません。
大和政権下では、皇族・有姓階級・公民階級・部民階級・賤奴階級に分類されていました。
①有姓階級とは氏と姓を有する貴族ともいえる階級でした。
- 氏というのは中臣、忌部、藤原、清原、源、平、物部など血縁関係を表すものです。
- 姓とは臣・連・国造・伴部・県主など朝廷内の立場を表すものです。
姓は大化の改新後、官史登用制の改革があって世襲は必ずしも認められなくなり、単なる称号となっていきます。
また、奈良・平安時代になると有力氏族による官職の独占が行われるようになり原則的には官職は有姓階級の世襲制となったため、この時代にはさらに姓の持つ意味はなくなったといえます。
②公民階級は農業従事者で直接納税義務を負う階級です
彼らは家の名や村の名を後世でいう苗字のようにしていました。
ここから先の部民階級と賤奴階級は差別をされていた階級です。
③部民階級は技術や労務を提供する者で直接納税の義務は負わない階級で、
品部と部曲の二つに分類できます。
品部とは朝廷から任ぜられた伴緒(伴造)という有姓階級に技術や労務を提供するするものをいいます。
部曲とは貴族や有姓階級が私有する私的な労働者をいいます。
氏姓制度の崩壊
大化の改新後は公地公民制の導入により、部曲は公民に編入されます。
また、有姓階級は同じ氏すなわち血族で集落を形成していた場合と複数の氏で集落を形成していた場合が考えられます。
血族で集落を形成する場合は近親相姦が行われることになってしまい、結局ほかの人間を入れざるを得ません。時の流れと共に階級間の混血がすすみ、国民の多くが氏を持つようになり、有姓階級の特権は失われ、氏族が祀る神は多様化していくのです。
氏神はどう決められたか
大化の改新以前は官職は世襲されるものであったため世襲の祖先を祀ることが一般でしたが、他にも地方を治める際にその土地の守護神を祀る場合や職業の守護神を祀る場合があり、一概に氏神と言っても多くの成り立ちが考えられます。
今回は有力氏族の氏神を例として祖先神氏神型、職域氏神型、地縁神氏神型を挙げます。
①祖先神氏神型
こちらは氏族の祖先を氏神としているパターンで記紀を読んだ事のある方には最もなじみ深いパターンだと思います。
古代に朝廷を支えた氏族はほとんどが神々の子孫であるとされています。
中臣氏と天児屋根命
中臣氏は天児屋根命を祖先としています。
中臣氏をルーツに持つ藤原氏は春日大社を氏神としており、春日大社には枚岡神社に祀られる天児屋根命を迎えています。
②職域神氏神型
物部氏と石上神宮
物部氏は石上神宮の祭祀を司ったとされています。
また軍人を率いたともされており、大和政権の武器庫としての役割を果たした石上神宮を氏神としています。
中臣氏と建御雷神
中臣氏は一族が鹿島神宮に奉仕していたとされており、鹿島神宮と同様に武甕槌命を祀る春日大社を氏神としています。
③地縁神氏神型
移住した際に、その移住先の神を氏神とする場合がこれにあたります。
秦氏と松尾大社
秦氏は古代中国からの渡来系氏族とされており、葛城郡周辺に本拠を構えたとされています。
氏神とは ~氏神の定義の変遷~
氏神とは本来、古代の氏という血縁関係によって共同祭祀された神、
すなわち氏族が祀る神を意味しており、本拠の外に移住することがあっても祭日には氏神神社に集まるということが行われていたと考えられます。
ここでは1氏神1氏子関係が基本的な形でした。
しかし、中世になると血縁的結合が弱まっていきます。
なぜなら、鎌倉時代は分割相続が主流だったからです。
分割相続が行われると家は相続のたびに小さくなっていってしまいます。すると、小さな家が乱立するようになり血縁関係より地縁関係が重視されるようになったのです。
この頃から氏族の神の祭祀の他に、地域という共同体による共同祭祀が行われるようになりました。これにより、氏神・産土神・鎮守神の混同が始まり、1氏神多氏子関係に変化し始めました。
近世になると中世の考えがさらに浸透し、自分が生まれた土地の神(産土神)を氏神と呼ぶようになり、氏神というのは氏子という地域の共同体によって祀られる神を指すようになったのです。
氏神神社を知らない人が増えている!?氏子意識の調査結果
かつての日本では氏神様への信仰が厚く氏神神社には多くの氏子が集まって祭祀に携わっていました。しかしながら、人口の流動化によって引き起こされた少子高齢化や定住者の減少によって氏子の数が減っていることや氏神を知らない人が増えていることはいくつかのデータで示されています。
Q.あなたは氏神様を知っていますか?
A.知っている 65.1%(平成18年) 69.1%(平成13年) 72.6%(平成2年)
知らない 34.9%(平成18年) 30.9%(平成13年) 27.4%(平成2年)
第3回『神社に関する意識調査』
このように自分がどの神社の氏子地域に属しているのか知らない人は年々増えており、また他のデータでは氏神神社に参拝に行く回数が減っていることも示されています。
全国の神社には氏神の周知のために様々な活動を行っているところが多くありますが、私の持っている印象では道半ばといった様子です。
住んでいる地域の氏神様の調べ方をいくつか紹介
では住んでいる地域の氏神が分かない場合はどのようにして確認するのが手っ取り早いでしょうか。いくつかの方法を紹介します。
まず1つ目 神社に赴いて直接確認する
この方法は最も正確な情報が得られる可能性があります。しかし、現在は土地の区画整理が進んだ影響で氏神区域が明確に判定できない場合も多く、そもそも氏子区域を記録していない神社も多くあるので他の方法も試すといいでしょう。
次に2つ目 居住している都道府県を管轄する神社庁に問い合わせる
各都道府県の神社庁には氏神神社が分からない場合に問い合わせることをWebで勧めているところもあります。
そして3つ目 地域の年配に確認する
なんだかんだこの方法が一番手っ取り早くて正確な情報を得られると思います。都心のマンション住まいの方だと地域との関わりを持つ機会は少ないかもしれませんが、古くからその土地に定住する年配はその神社に思入れがある場合も多いため、まずはこの方法を試すことをオススメします。
この方法の良いところは変則的な氏子区域も把握できる点です。私の携わる神社では氏子区域内にあったアパートが区域外に移転したものの、当神社の氏子地域であることを続けたという事情があります。このような事例にも対応できるのがこの方法の良いところでしょう。
最後に4つ目 図書館で文献を確認する
こちらはかなり手間のかかる方法ではありますが、私の携わる神社の氏子区域を確定させた方法でもあります。私の場合は神社の由緒について調べなおしていた際に昭和後期の新聞記事のコラムに地域の神社の紹介がされており、そこには神社の氏子区域に関する情報も示されており、そこから古文献を漁るうちに芋づる式に区域が分かっていきました。