奈良県桜井市には大和国の一宮である大神神社は「オオミワジンジャ」と呼ばれます。
通常、神という文字は「カミ」と呼ばれますが、大神神社の例では「ミワ」と読まれるということです。
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説 その1 神といえば大神神社の神!?
理由について一般的には、
神と言えば三輪山の神を指していたため、神の中の神つまり大神に三輪山の「ミワ」をとって「オオミワ」という読みを充てた
という説が唱えられています。
実際に大神神社は最古の神社とも言われており、古代から大変篤い信仰を受けてきたと考えられます。
そう考えられている理由として
・その1
初代神武天皇から第12代景行天皇辺りまでは奈良周辺に宮都が構えられていることがあげられます。
ヤマト王権やその前身は記紀の伝承や遺跡・古墳の分布から奈良盆地を拠点としていたと考えられており、三輪山周辺の発掘調査でも古代から三輪山で祭祀が行われてきたことが明らかになっています。
・その2
また、古事記には以下のような記述が残されています。
第10代崇神天皇の御代に疫病が流行した際に神床に入ると、
大物主神が現れ「三輪山の祭司に大田田根子を据えなさい」と言い残した。
この記述からヤマト王権の時代から祭祀が行われていたことが読み取れます。
・その3
三輪山に鎮まるとされる大物主神は神武天皇の后である比売多多良伊須気余理比売の父とされており、天皇とも非常に深い関係性があるということが理解できます。
以上の記述から、
神と言えば大物主神であり、神という字に「ミワ」を充てたとされています。
説 その2 同じ神という文字でも「カミ」と「ミワ」は別の概念
しかし、神と言えば大物主神という考えが一般化していたからと言って、本当に神という字に「ミワ」という読みを充てることがあるのかという疑問も生まれます。
ここで、「神」という文字がどのような意味を持っているか改めて検討してみます。
Googleで検索してみると
「神とは人知を越えてすぐれた、尊い存在。」
と説明されています。これが神という語の意味です。
神といえば私たちに良い影響を与えるという側面もありますが、崇神天皇の御代の疫病のように祟り神としての側面も備えており、神の恵みと災いは表裏一体であるともいえます。
大物主神の「物」すなわち「モノ」とは鬼とか悪霊、「主」とは山や川などに住みつく霊力のある動物という意味を持っている(この場合は蛇)とも言われていますが、
神の人間に良い影響を与える側面を表す言葉としての「カミ」に対して、
人間に畏怖の念を抱かせる側面を表す言葉として「ミワ」という語があったのでないかと考えます。
すなわち、現在は同じ文字を用いていますが、神という文字の読みである「カミ」と「ミワ」はもともとは異なる概念だった語であるということです。
このような考察に至る根拠は現存する日本最古の和歌集とされる万葉集にあります。
万葉集3巻265番
苦しくも 降り来る雨か 神の崎 狭野の渡りに 家もあらなくに (作者 長忌寸奥麻呂)
現代語訳
辛いことに雨が降り始めたなあ、三輪の崎の佐野の船着き場には家もありはしないのに。
神の崎の神を「ミワ」と発音します。神の崎とは和歌山県新宮市と那智勝浦町との間に位置し、新宮市三輪崎町、佐野町のあたりであるといわれています。
この辺りは黒潮と背後の山の影響で湿った空気が流れ込みやすく、現在でも非常に降水量の多い地域として知られています。
この和歌は強烈な雨に降られた際の様子を詠っており、この場合の「神」は人間に良い影響を与えるもの(=カミ)ではなく、畏怖の対象としての「神」すなわち「ミワ」を表していると理解することができます。
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神酒を「ミワ」と読むのはなぜか
神酒をミワと読む理由は三輪山の神すなわち大物主神と酒造が密接な関係にあることが挙げられます。
日本書紀には崇神天皇の御代に疫病が流行した際、大田田根子を祭主に据えると同時に、活日命(大神神社摂社 活日神社の御祭神)に一夜で酒を造らせ、これを振舞うと疫病が治まったという逸話があります。
この時に活日命が詠んだ詩が
「此の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久幾久」
現代語訳
この神酒は私がつくったものではなく大和の国の大物主神がつくった神酒です。いつまでも永遠に栄えあれ
(この場合は神酒を「ミキ」と読んでいます)
また、大物主神と共に大神神社で祀られる大己貴神と少彦名命も酒造の神とされています。
ここまでで三輪山の神と酒に密接な関係を持つことはわかったと思います。
しかし、神酒という言葉には「ミワ」という読む以外にも「ミキ」と読まれます(ミキと読む方が一般的かもしれません)。ミワとミキにはどのような違いがあるのでしょうか。
その違いを紐解くヒントは万葉集にあります。
万葉集13巻3229番
斎串立て神酒すゑ奉る神主部がうずの玉かげ見ればともしも (作者不詳)
現代語訳
玉串を立て神酒を据え、神官たちの髪飾りを見ると心が惹かれるよ
万葉集2巻202番
泣沢の神社に神酒据ゑ祈れども我が大君は高日知らしぬ (作者 檜隈女王)
現代語訳
泣沢神社に神酒を据えて祈っても、大君は天に昇ってしまわれた
どちらの詩も「据える」という言葉が使われています。
万葉集には酒を表す語がいくつも使われていますが、「据える」という言葉と共に用いられているのは「みわ」と読む場合だけです。
「みわ」は美和とも書かれ、「美」は美しいという意味、「和」は丸い物を表すとする説がある。
また、据えるという言葉から容器(甕)に入れられた酒であると解釈できる。
以上の理由から容器に入った神酒を「ミワ」、神酒そのものを「ミキ」というのではないかと推測します。
最後に三輪山が酒造りで有名であったことを表す詩を紹介します。
万葉集8巻1517番
味酒の三輪の斎ひの山照す秋の紅葉散らまく惜しも (作者 長屋王)
現代語訳
三輪の神官が守る山を輝かせる秋の紅葉が散るのは惜しいことだなあ
冒頭の味酒というのは三輪とか三諸・三室(三輪山の別称)の枕詞です。
味酒が三輪の枕詞とされたのは神酒と三輪の読み方が同じということによると考えられるが、おいしい酒を連想させる味酒という言葉が三輪の酒にかけられていると考えることもできそうです。
(味酒という枕詞は三輪にだけ用いられるものではなく、鈴鹿や餌香にも用いられています)
まとめ
- 一般に、神を「ミワ」と読む理由は神といえば三輪山の神のことを指したからと説明される。
- 神を「ミワ」と読むのは、恵みをもたらす「カミ」に対して、災いをもたらす「ミワ」という概念があったから。
- 三輪山は酒造と密接な関係にあり、神酒を「ミワ」と読むのはこれに由来する。
- 三輪という語句にはおいしいお酒を連想させる味酒が枕詞として使われる。