今回は素戔嗚尊の高天の原訪問から大国主神による国造りまで説明するよ!!
まだ前回の日本書記を読んでいない人は先にvol.1を読むことをオススメするよ!!!
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ここまでのあらすじ
天地開闢により、一番最初の神 国之常立神の他、何柱かの神が生まれ その中には伊弉諾尊と伊弉冉尊も含まれていました。
天地開闢が済んだ後、伊弉諾尊と伊弉冉尊は国土や三貴子(天照大御神・月夜見尊、素戔嗚尊)を含む多くの神々を生みました。
素戔嗚尊と天照大御神の誓約
この後、伊弉諾尊は仕事をすべて終え、淡路に幽宮を造り、お隠れになりました。
古事記との違い
淡路(兵庫県淡路市)には伊弉諾神宮があり、この逸話とマッチしています。
古事記では淡路の部分が淡海(近江)となっていますが、滋賀県にも伊弉冉尊(伊邪那岐命)の鎮まる多賀大社があります。
さて、素戔嗚尊が高天の原を訪れる際、高天の原では大混乱に。
天照大御神はこう言って、髪を結びスカートの裾を結び、弓矢を背負い素戔嗚尊を待ちました。
メモ
誓約とはあらかじめ宣言した結果が現れるかどうかで、真意や吉凶を占う方法のこと
こうして二人は誓約を行うことになりました。
まず、天照大御神は素戔嗚尊の十握剣を受け取り、三つに折りました。
三つに折れた破片から田心姫・湍津姫・市杵嶋姫の女神(宗像三女神)が生まれました。
次に、素戔嗚尊は天照大御神の八尺瓊の五百箇御統を受け取り。噛み砕き吹き出しました。
するとその霧のような息から、正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊と天穂日命と天津彦根命と活津彦根命と熊野櫲樟日命の合わせて5柱の神が生まれました。
よって、生まれた3柱の女神は素戔嗚尊の子です。
こうして潔白が証明されました。
古事記との違い
日本書記では素戔嗚尊が男神を生んだ場合に清き心を証明できるとしているが、
古事記では素戔嗚尊が女神を生んだ場合に清き心を証明できるとしており、男女の位置付けが逆になっています。
天の岩戸
疑いが晴れた素戔嗚尊ですが、結局 悪事を働いてしまいます。
天照大御神の開いた田を荒らし、馬を田の中に放り込んだり、新穀を神々に奉る祭儀が行われる宮殿に大便をしたり、服を織るための社にいる天照大御神に馬の皮を投げ入れたりしました。
さすがに怒ってしまった天照大御神は天石窟に入り岩の扉で閉じ、籠ってしまい、国中が暗闇に覆われることとなってしまいました。
思兼神はどうにか天照大御神を天石窟から出そうと、八尺瓊の五百箇御統や八咫鏡を飾り、天鈿女命に踊らせるなどの方法をとります。
こう不思議に思って、少し覗いたところ、扉の前にスタンバイしていた手力雄神が天照大御神の手を取って引きずり出しました。
素戔嗚尊とヤマタノオロチ
この後、素戔嗚尊は罪を負わされ、高天の原に居られなくなった素戔嗚尊は出雲にいました。
ある時、泣き声が聞こえてきます。声の元へ歩いていくと老翁と老婆が一人の娘を撫でいました。
老翁の名を脚摩乳・手摩乳と言い、娘の名を奇稲田姫と言います。
「どうしてそんなに泣いているんだ」
こう質問すると、毎年八岐大蛇という怪物がやってきて娘を飲み込んでしまうという事情を話しました。
こうして、八岐大蛇討伐が始まったのでした。
八岐大蛇は仕掛けておいたアルコール度数の高いお酒をグビグビ飲み干します。
そして、酔いが回って寝ているところを倒したのでした。
八岐大蛇の尾からは天叢雲剣が出てきたのでした!
天叢雲剣は草薙の剣とも呼ばれており、三種の神器の1つで、現在は熱田神宮にあるとされています。
見事、八岐大蛇討伐を果たした素戔嗚尊は奇稲田姫を娶り、出雲に宮殿を建てました。
(雲が幾重にも重なるこの出雲のように 妻を守るための垣を幾重にも張りらせるよ)
この詩からもわかるようにたいへん妻を寵愛し、大己貴命(大国主神)が子として生まれたとも、6代子孫に生まれたとも言われています。
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大国主神の国造り
大国主命が出雲の国を平定し、海岸を歩いていると1人の小さな男がいました。
この神は高皇産霊神の子 少彦名命です。
古事記との違い
古事記では少彦名命は神産巣日神の子とされていますが、
日本書紀では少彦名命は高皇産霊神の子とされています。
大国主神は少彦名命と国造りを行うことにしました。
また、この2柱は病気を治す方法や厄除けの方法を定めました。
ある時、大国主命はこう尋ねました。
これに対して少彦名命は「まだ完璧ではないでしょう」と答え、そのまま常世の国に帰って行ってしましました。
この後は、大国主命が一人で国造りを完成させ、出雲に戻ると
海の方から不思議な光がこちらに向かってくるではありませんか。
私はお前の幸魂・奇魂だ。これからは三諸山(三輪山)に住もうと思う
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これが大神神社の起源です。
古事記との違い
古事記では国造りの前に因幡の白兎の話が書かれていましたが、それが日本書記ではありません。
あくまでも、国造りは次にお話しする天孫降臨の前提の話という位置づけです。
外国への天皇の正当性のアピールという日本書記の命題がここからも理解できますね。
また、日本書記では古事記と違い、海に現れた不思議な光の正体(大物主神)を「大国主命の幸魂・奇魂」だと明言しています。