日本の歴史を記した書物として日本書紀や古事記があります。これら2つを合わせて記紀と呼びますが、どちらにも類似した内容が記されています。
今回は日本書紀と古事記の共通点と相違点について、実際にあらすじを紹介しながら分かりやすく説明していきます。
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日本書紀には「一書曰く」という異伝が多く記されている
古事記と日本書紀の違いについてはこちらを読んでいただけると大体わかるのですが、日本書記の現代語訳をするにあたって知っておいてもらいたいことがあります。
日本書紀には本文の他に「一書曰く」などの言葉を添えているところがあります。
本文というのは、文字通り本文ですが、一書曰くの部分はすごく簡単に言うと「こういう説もあります」という異伝の部分です。
本文より異伝のほうが多い箇所もあります。
この「”超”現代語訳 日本書紀」では本文を基本としながら、重要な異伝にも触れていこうと考えています。
また、古事記との共通点や相違点にも着目して進めていこうと考えています。
では早速本編スタート!!!
日本書紀の天地開闢と古事記の天地初発
昔、天地はまだ分かれず陰陽も分かれていなかったが、やがて明るいものと暗いものができました。明るいものの方が固まりやすい性質があるので、陽の存在の天が先に出来上がり、その後に陰の存在の地ができました。
まず陽の働きによって神が生まれました。
最初に生まれた神は国常立尊、
2柱目に国狭槌尊、
3柱目に豊斟渟尊です。
これら3柱は陽の性質から生まれた神なので、すべて男神です。
古事記との違い
最初に生まれた神は天之御中主神
その次が高御産巣日神
その次は神産巣日神です
次に陰と陽が交わって以下の神が生まれます。
埿土煮尊、沙土煮尊
大戸之道尊、大苫辺尊
面足尊、惶根尊
そして、伊弉諾尊と伊弉冉尊が生まれました。
これらの神は陰と陽が交わって生まれた神なので、男女一対の神で、
ここまでに現れた神を合わせて神世七代と言います。
古事記との違い
古事記では始まりを「天地初発」といい、高天の原はもともと存在しており、そこに最初の神が生まれたとされていますが、
日本書紀では「天地開闢」といい、最初は何もない状態から天と地が分かれたとされています。
高天の原という日本的な思想を用いていますが、日本書紀では中国等の諸外国の神話に合わせた形式で記されていると言えます。
国生み・神生み
伊弉諾尊と伊弉冉尊は天浮橋の上に立って
矛について滴り落ちた塩が固まってできた磤馭慮島に降り、国生みを始めます。伊弉諾尊は左回りで、伊弉冉尊は右回りで島を回り
まず伊弉冉尊から声をかけます。
すると伊弉諾尊はこれに不満の色を示します。
結果は失敗。淡路島という不格好な島が生まれました。反省を踏まえて、もう一度やり直すことになりました。
今度は伊弉諾尊から
これに続けて伊弉冉尊は
これらを合わせて国を作りなさいということか
こうして二人は交わりを結ぼうとしましたが、その方法が分からずにいると、どこからか鶺鴒(鳥)が飛んできて、首と尾を振り動かしました。
2柱はこれを真似て交わり合うことに成功しました。これにより、本州、四国、九州、隠岐島,佐渡島、北陸道、周防の大島、備前の児島半島が生まれこれらを合わせて大八洲国といいます。
伊弉諾尊と伊弉冉尊は海や山川、いくつかの神を生みました。
そして大日孁貴尊(天照大御神)を生みました。
次に伊弉諾尊、伊弉冉尊は月夜見尊を生みました。
そして次に蛭児を生みました。しかしこの子は3歳になっても立たなかったので船に乗せて流してしまいました。
次に素戔嗚尊を生みました。この神は勇敢でありながら残忍で泣き虫な子であり、多くの人民を殺し、山を枯れさせるなどの横暴が目立ちました。
古事記との違い
古事記では三貴子(天照大御神・月夜見尊・素戔嗚尊)は黄泉の国(死者の国)から帰った伊弉諾尊が、それぞれ左目・右目・鼻を洗ったときに生まれたとされているが、日本書紀では黄泉の国のことは語られず伊弉諾尊と伊弉冉尊が共同で生んだとしており、日本的な思想を排除し、中国の陰陽思想を意識したものであると言えます。
また、天皇は伊弉諾尊と伊弉冉尊の神が共同で生んだ天照大御神の子孫という形を取りたかったということが伺えます。
ある説では、天照大御神とともに月夜見尊が高天の原(天上の世界)を治めるように命じられた際、天照大御神は月読尊に
と命じました。
月読尊が身に行くと、保食神は口から米や魚や肉を出して月読命を迎えたが。
しかし、月読尊はこれに激怒し保食神を切り殺してしまいました。
こうして天照大御神と月読尊はそれぞれ真逆の昼と夜の世界に離れて住むことになったのです。
また、天照大御神が使いの者に地上の様子を見に行かせると、保食神の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰から麦・大豆・小豆が生まれていました。天照大御神はこれを高天の原まで持ち帰り五穀を育てることにしたのです。
古事記との違い
古事記では須佐之男命がオオケツヒメという神が鼻・口・尻から食物を出しているところを見てしまい、穢らわしいと思って殺してしまいました。するとオオケツヒメの身体からは頭から蚕が、目から稲が、耳から粟が、鼻から小豆が、陰から麦が、尻から大豆ができたとされています。
またある説では、伊弉冉尊が軻遇突智命を産み亡くなった後、紀伊国熊野の地に葬られたとされています。
またある説では、古事記と同様に軻遇突智命を産み、伊弉冉尊は黄泉の国(死者の国)に行ってしまい、これを悲しんだ伊弉諾尊は黄泉の国に伊弉冉尊を探しに行くも、その変わり果てた姿に怯え、逃げ帰り、阿波の速吸名戸で禊をしたとされています。
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