神道において神々に接する際には祭祀によって定められた期間を慎んで過ごし、また特定の事項と接触しまった時に神々に接することを禁止する旨の規定が定められ現代においてもその決まりは守られています。
今回は古代と現代の神社においてどのような斎戒と参籠についての規定が設けられているか説明していきます。
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目次
斎戒・斎忌とは神聖な状態にしてそれを保つこと
神道では清浄というものが最も重要な概念のひとつです。
清浄とは穢れのないことであり、心身ともに清らかで穢れのない状態にすることが祭祀にあたっては不可欠です。
これは古代から変わることなく行われていることで、現代においては神事に際して籠ることを参籠と言い神社本庁規程にも定められています。
『養老律令』の注釈書『令義解』の斎戒規定
古代は祭政一致の原則に基づいた政治が行われており、政治と祭祀は一体の関係にあると考えられていました。そのため、公的な祭祀について記した資料はいくつかあったと考えられていますが、そのほとんどが散逸してしまっています。
養老四年(720年)に成立した養老律令も現存していませんが、養老令の注釈書である令義解からその内容を確認することができます。
まずは養老律令の中から再開に関する規定を抜き出して確認します。
- 朝廷の役人は喪を弔い、病を問い、四つ足の肉を食してはならない。また、死刑の判決や罪人の刑罰を決めること、音楽を作ること、穢悪に関与してはならない。
- 一月の斎戒を伴うものを大祀とせよ。三日の斎戒を伴うものを中祀とせよ。一日の斎戒を伴うものを小祀とせよ。
以上が養老令の斎戒に関する規定です。
様々な斎戒を伴う規定がありますが、ここでのポイントは四つ足の肉を食してはならないという部分と祭祀の大中小を定めているところです。
日本の律令は古代の中国を模範にしてつくられたものですが、四つ足の肉を食してはならないという規定は古代中国にはない我が国固有のものであると言われています。
『延喜式』巻第三 臨時祭の斎戒規定
延喜式とは平安時代中期に編纂された律令の施行細則について定めたものです。
延喜式でも祭祀に関する規定が多く置かれており、巻三の臨時祭の部分に斎戒について説明がされています。
次に延喜式の斎戒規定をいくつか抜き出して確認します。
- 穢悪のことに触れて忌むべきは、人の死は三十日、人の産は七日、家畜の死は五日、家畜の産は三日、家畜の肉を食すことは三日である。
- 祭りの前後の散斎(荒忌)には僧尼が内裏に参入することを禁ずる。
- 懐妊している宮女は散斎の前に退出しなさい。月経のある者は宿舎に下がらなくてはならない。
- 失火に触れたものは神事にあたっては七日を忌め。
以上が延喜式に規定された律令に関する事項です。
『皇太神宮儀式帳』の忌み言葉についての規定
ここまでは忌むべき事項と潔斎に必要となる機関についての話をしてきましたが、ここからは少し毛色を変えて忌み言葉についての規定を確認しましょう。
皇太神宮儀式帳とは延暦23年(804年)に伊勢の神宮から朝廷に提出されたもので、この中には斎宮という斎王(神宮に仕える皇女)のお住まいの関係者は以下のように忌み言葉を慎むべきとされています。
打つことを奈津といい、泣くことを塩垂といい、血を阿世といい、家畜の肉を多氣といい、佛(仏)を中子といい、経を志目加彌といい、塔を阿多々支といい、法師を髪長といい、優婆塞を角波須といい、寺を瓦葺といい、斎を片食といい、死を奈保留といい、墓を土村といい、病を慰という。
忌み言葉とはふさわしくない言葉のことであり、これを言い換えて用いることが定められています。現在では結婚式に際して「別れる」、受験に際して「落ちる」という言葉を慎んで言い換えることが行われているはずですので、それを想像してもらえれば分かりやすいと思います。
皇太神宮儀式帳では様々な忌み言葉が定められていますが、これらは「内の七言」と「外の七言」に分類されています。
- 内の七言とは 「仏を中子」「経を志目加彌」「塔を阿多々支」「法師を髪長」「優婆塞を角波須」「寺を瓦葺」「斎を片食」
- 外の七言とは「打つことを奈津」「泣くことを塩垂」「血を阿世」「家畜の肉を多氣」「死を奈保留」「墓を土村」「病を慰」
のことで、内の七言は仏教に関すること、外の七言は死や病などに関することが挙げられています。
これらの忌み言葉については『皇太神宮儀式帳』だけでなく『倭姫命世紀』などの神宮の資料にも規定されています。
[ここまでのまとめ】斎戒は不浄と心身の悪化を防ぐために行われる
ここまで紹介してきた斎戒すべき事項をまとめてみると、
- 死や産
- 言葉
- 仏教
- 火
が再開を必要としていることがわかります。
冒頭でも説明した通り、斎戒とは祭祀にあたって心身を正常な状態に保つために行われます。
ここまで挙げられた例を見ていると気持ちを高めたり下げたりすることが挙げられます。記紀等の神道古典でも死や産の穢れ、火の穢れについては語られていますが、忌むべき事項を感情を正常な状態から普段とは異なる状況にすることと理解することは現代においては非常に分かりやすいと思います。
例えば親族が亡くなって気持ちが沈んでしまった時、普段通りの祭祀を行うことができるでしょうか。
親族が出産を迎える時、心配な気持ちや高まる気持ちを持って普段通りの祭祀を行うことができるでしょうか。
祭祀という神様と接する神聖な空間ではいつも通りの落ち着いた心を持って臨むことが重要です。そのためには不浄と心身の悪化を防ぐために斎戒することが不可欠と言えます。
神社本庁規程における斎戒規定とその他の文献を参考に現在の神社での参籠はどうあるべきか考える
先ほど説明したように、養老令では大祀には一月の斎戒が、中祀には三日の斎戒が、小祀には一日の斎戒が必要とされていますが、現在はどのような斎戒規定が置かれているのでしょうか。
神社本庁規程を確認してみます。
凡そ神明に仕へる者は、浄明正直を旨とし、恭敬の誠を致すことを常道とし、祭祀を行うに当つては、特に斎戒を重んじ、その精神の徹底をはかり、禁忌を慎み、過失遺漏のないようにつとめなければならない。
一、祭祀に奉仕する者は、大祭、中祭にはその当日及び前日、小祭にはその当日斎戒するものとする。
祭祀に参向する者も、亦これに準ずる。
二、斎戒中は、潔斎して身体を清め、衣服を改め、居室を別にし、飲食を慎み、思念、言語、動作を正しくし、汚穢、不浄に触れてはならない。
三、斎戒に関し、一社伝来の慣例等がある場合は、これによる。
とされています。
大祭・中祭には前日からの斎戒が、小祭には当日の斎戒が必要とされているのです。
神社本庁規程をここまで紹介してきた文献と比較してみると、具体的な慎むべきことが書かれていないことが気になります。
神職が一般と同様の生活を送るようになり、また医療が発達し、消費社会が拡大した現代において古代の斎戒規定をそのまま取り入れることは困難なことです。しかしながら、神道において清浄が最も重要であるということは決して変わることのない大原則ですので、どこまで厳格に斎戒を行うかということを検討する必要があります。
前の段落でお話したように気持ちを高めること・沈めることを忌むべき事項と考えるのであれば、斎戒期間中のテレビやインターネットの視聴、酒類や刺激物を摂取することは控えること、清潔な衣服を身につけることなどの衣食住に関する基本的な事項に関しては謹んで行動した方がよいと私は考えます。